旧交を温める〜入社時にお世話になった先輩、Yさんと会う
日本経済新聞社に入社。大阪本社流通経済部に配属されたときにお世話になったY先輩に東京・練馬で会った。20年近くお会いしてなかったが、髪の毛が白くなっていただけで、話しぶり、雰囲気は入社当時のままだった。
大阪を中心に西日本が担当エリアだった。いろいろな業種の専門店/がある。すぐに各業界を理解しようと、過去記事のスクラップをしていたら「そんな馬鹿なことはやめな」とY先輩。専門媒体とは言え、あまり視野が専門へ、枝葉末節へと行くことは、駆け出しの記者にとっては望ましくないと思ったのだろう。
そんなYさんが連れて行ってくれたのは、建築家の事務所。流通新聞の「表」の取材では必要がない人だったが、都市開発や、店に関する知識、情報を得るための周辺取材では必要な方だった。本当の情報をとるためには、スクラップ記事のような、浅い知識、情報は必要ないことに気づいた。書く内容については、裏表、すべて自分で調べて情報を取ろうと思った。
YさんとはKansai Ramblersという外国人が参加するハイキングのグループに参加したり、日本語の本を書くために協力してほしいという外国人の家に遊びに行ったりして、英語の勉強をした。私は全然身につかなかったが、Yさんはその後、ロサンゼルス支局長となったから、こ明日毎日も無駄ではなかったのだろう。
Yさんは4人のお子さんがいるが、ロスに家族で暮らしたことがきっかけとなり、お子さんはすべてグローバルに活動。米国の飲食店チェーンのシェフや、映像クリエーター、美術館のキュレーターなどで活躍している。
Yさんは2000年代の初めに日経を辞め、学者生活。米国の都市開発の潮流についてずっと書いている。
そんなYさんだから、先日の「米国を一緒に横断しない?」という提案も、自然に出てきたようだ。
米国の平原の一本道でYさんがコロナに感染したら、対処できるかどうかわからない。今は逡巡するが、どの町に立ち寄りるか。病気になっても大丈夫か。楽しそうな街から、救急体制まで、すべて調べ、大丈夫そうならば、行くか。
お金も稼がないと。
ぜひ、Yさんとまた何か一緒にしたい。
練馬区役所20階のレストランで。