本番と稽古
昨日は茶道の稽古だった。
午前中は、先生の一番弟子のNさん(女性)のお点前も見せてもらいながら、稽古。3人でいろいろな話もできて楽しかった。
Nさんは、仕事にプラスになると考えて茶道を始めたと言う。つまり、プレゼンなどをする時に所作が美しくないと自覚していて、気持ちよく相手に話が伝わるように茶道を学ぼうと思ったと話していた。
そして茶道のお点前の手順は極めて合理的で、仕事の手順も茶道のように合理的に進めるようになってきたと言う。
良妻賢母のためではなく、ビジネスパーソンとして自らを磨こうとして始めたと言う話は、なるほどと思った。
武家の茶道、石州流は元々、男子中心の茶道で、コミュニケーションの手段、お付き合いの手段として重用されてきた歴史がある。ゴルフやお酒の席ではなく、お茶でもてなす。日経の創業者・益田孝も鈍翁と名乗り、お茶の席を、経営者同士の交流の場として利用していた。自ら集めた茶器を披露したり、手料理を振る舞ったり、今の接待より個性があり、全身全霊の接待だったのではないか。
Nさんは、先生に正式に稽古をつけてもらっている。つまり、石州流のいろいろなお点前をマスターするたびに、免状をもらって、レベルを上げていき、まもなく師匠になれる段階に上り詰めようとしている。
先生に見せてもらったが、箱の中に墨で書かれたお点前のノウハウ(絵と文章)があり、こうして技を相伝してきたという。
師匠と弟子の間の稽古は門外不出の奥義を伝えるものなので、本来は他の弟子のお点前なども見ることができないらしい。
そんな緊張した稽古の中に、ど素人が混ぜてもらい、恐縮するが、先生は心が広く、「茶道に親しむ」、いわば非公式の稽古をつけてくれている。
私の場合は師匠になることが目的ではない。茶道でもてなし、茶道の席で密談するみたいな(笑)濃密なコミュニケーション、日本文化を凝縮したコミュニケーションの術を学びたいと言うのが目的だ。だから、会席料理も上手に作れるようになりたいし、掛け軸の禅語も、たくさん学びたい。そんな希望を受けとめてくれている。
私にとって本番は、お点前や会席料理によるもてなしができるようになること。稽古にもっと励まなくては。
高校の一年先輩に井出洋介という麻雀のプロがいる。東大出の雀士。健康麻雀の普及者としても有名だ。麻雀の教本は彼が一番買いているのではないだろうか。その彼を囲む「井出杯」を後輩が企画した。10月に井出杯がある。
いつもやっているネット麻雀ではなくリアルな卓を囲む麻雀。
その麻雀に慣れるため、7月24日に行われる「最強戦」という大会の予選にも申し込んだ。
麻雀にも「本番」ができ、普段、気晴らしでやっていたネット麻雀が「稽古」の位置づけになった。そうなるとネット麻雀にも力がみなぎる。
今朝、3回打ったが、3連続トップだった。
ゴルフもラウンドに向けた練習を今日行う。
考えてみれば、新聞記者の記事が本番だとすれば、取材は稽古に近かった。取材を積めば積むほど、真実に迫ることができる。多様な見方も学べる。そして記事の中身が濃くなる。
退職すると、仕事がなくなるーーと言われるが、いくつかの「本番」を作れば、そのための稽古を行うことで、同じ緊張感、満足度で毎日が送れるのではないか。
日々歩くことも、山登りの稽古。農作業は食べることの稽古。
そう考えると毎日がとても楽しくなる。