水戸その2〜会社の後輩・Iくんと蕎麦屋でランチ、美術や梅も楽しむ
水戸まで行ったのは、会社の11年後輩のIくんとランチをするため。2000年3月から2004年2月までいた、NIKKEI NETの編成をする部署で、Iくんと一緒に仕事をした。
NIKKEI NETは、インターネットが普及し始めた頃、Yahoo! JAPANと人気を二分した新聞社系のネットの一つだった。日経電子版のスタートとともに歴史的役割を終えたが、大手新聞社にはない自由奔放なサイトだった。インターネットというこれまでにないインフラを使うサービスだったため、社内の各部署から人を募って作るしかなかった。それゆえに奇跡的に面白い人材が集まり、意欲的なコンテンツが作られていた。
その頃、私はデスクだったが、Iくんはキャップで、IT、テンタメ、食などのコンテンツで味を出していた。
Iくんは5年前から出身地の水戸に自宅を移し、水戸から大手町まで通っていた。副業が当たり前の時代。地域を盛り上げるという、ライフワークを少しでも早く手がけたいという気持ちで、生まれ故郷に本拠を置いた。
その後コロナ禍もあり、一体、どうしているのだろうと気になっていた。
その後コロナ禍もあり、一体、どうしているのだろうと気になっていた。
からが在宅で仕事をする日に、水戸でランチができないか、SNSでメッセージを送り、ランチをすることになった。
地元で大変評判の良い蕎麦屋さんで二色せいろを食べながら旧交を温めた。
コロナ禍で、ブレーキはかけられたものの水戸でのネットワーク作りは広かったという。「地域開発でいま、一番求められているのは防災」ということで、昨年、気象予報士の資格もとったらしい。 新型コロナの蔓延とともに移動も制限され、世の中の閉塞感は強まっているが、彼は昨年末、ロンドン、ニューヨークを訪ね大好きな芝居を梯子したようだ。視野を少しでも広げることで、彼は常識をアップデートするとともに、自分自身のバランス感覚を保っている。
例えば、彼がブロードウェイで見つけた劇場のトイレの案内。
口では、人々の多様性や自由に配慮すると言いながら、日本社会には偏見が残り、型にはまった行動が求められることが多い。しかし海外では、どんどん新しい考え方が実践に移されているのだ。
簡単にいうとなんちゃって冒険家なのだと思うが(笑)、冒険する意欲は十分。見習いたい。
彼は「フェリーの旅もいい」という。ネットが繋がらないことが多く、スマホを手放して、読書するしかなくなるからだという。ネット漬けの毎日も改めたい。
いろいろ動いてみる。いろいろな場所に行き、いろいろな人に会う。こうした基本動作を大切にして、がんばらねばなと、彼から改めて学んだ。
水戸で、気持ちの良い時間を過ごせた。