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すごい! 大竹伸朗展 こんな人が日本にいて嬉しい!

 東京国立近代美術館で11月1日から(2023年2月5日まで)開催されている「大竹伸朗店」を観た。素晴らしかった。
 前回の企画展、ゲルハルト・リヒター展もとてもよかったが、両展覧会に共通するのは存命の作者が展覧会づくりにも協力。展覧会自体が新たな作品になっていることだ。代表作を一気に見ることができ、その展示方法もユニーク。どちらも、作品の撮影が自由で、訪れた人が、マイリヒター展やマイ大竹伸朗展を組み立てられる。東京国立近代美術館は、従来の美術館の枠を超えたのではないかとさえ思った。

 東京国立近代美術館にいくと、「宇和島駅」のネオン。これも、大竹の作品。この場所に設置するのが、すごく面白い。

 作品は7つのテーマを設定して、時系列を無視して展示されていた。各テーマごとに好きな作品を撮影した。

 「大竹の表現は、ずっと、かれが作り出すよりも前に作られたものや前もって存在した他者、『既にそこにあるもの』との共同作業であり続けてきました」。
 ということ、最初のテーマは「自/他」。


 9歳の頃に制作したコラージュ・ワーク(「黒い」「紫電改」)

 近年の大作、モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像。




 次が「記憶」。「外部の刺激を取り込み、それが保存され、必要に応じて再生されること。たわいもない印刷物やゴミとされるようなものまで、ありとあらゆるものを貼り付け、作品の中にとどめていく大竹の制作は、それ自体が忘却に抗う記憶術であるといってもよいでしょう」。



 3つ目が「時間」。「そのときどきに形を変えるものとして『記憶』を捉えている大竹にとって、時間は流れていくのみならず、形を持ち、手触りがあり、あるいは音や匂いをともなう素材のひとつです。大竹は様々なものに貯蔵された時間を拾って、集めて、指でノリを塗りつけて、貼り合わせ、重ねていきます」。




 4つ目が「移行」。 「そして『移行』は、作者が身体的に場所を移すことだけでなく、制作方法であります。大竹の作品のほとんどは、様々なものを模写や切り貼り、元あった場から転移させることで成り立っています」。この展覧会の会期中だけ美術館に設置される《宇和島駅》は、その最たる例です。ここでは駅名看板が駅名看板としての機能を変えることなく、ほぼ『移行』することだけが、作品化されています」。




 4つ目が「夢/網膜」。だんだん概念が難しくなってくるので、感じていただきたい。





 「層」。「あるイメージがコピーされ、その上から描画が加わり、切り取られ、貼り付けられ、またコピーされて、増殖していく。ときに膨大な時間が費やされる積み重ねは、物質的な、あるいは視覚的な層をなし、厚みや重たさとなって、大竹が愛着を抱く『景』を形成しています」。










 最後のテーマに行く前にNHKBS8Kで放送された「21世紀のBUG男 画家 大竹伸朗」のビデオが流れていた。自宅に帰って改めて観たいと思った面白いビデオだったが、現在は観ることができなかった。
 大竹の制作過程と、インタビュー、関係者のコメントなどで構成されるおよそ90分の動画。多摩川の河川敷の原風景。藤原新也は、大竹伸朗は脳と手が繋がっていない!と言っていた(笑)。大竹は頭で考えてそれを絵にするーーというのが絵ではなく、偶発的に描かれるものが絵だと考えているようだ。こんなものを描きたいと、最初から頭に描いているようなものは、つまらないと彼は考える。
 大田区の、父親が様々な職業の家庭の子供が多い小学校から、練馬区のサラリーマンの親の多い家庭の子供がいる小学校に転校したら、真面目な子供が多すぎて、つまらなくなって不登校になる。
 中学?高校?どの段階なのか覚えていないが、美術の教師には嫌われていたようだ。既存の枠から飛び出ようともがいている大竹と美術の教師は対峙できなかったようだ。
 芸大の受験に失敗、私立に行くが休学し、北海道の牧場で朝から晩までくたくたになるまで働く。身体で感じた方をそのまま描くスタイルをそこで身につけたのかもしれない。
 トシなのか、感動したフレーズがたくさんあったことだけは覚えているのだが、再現できない。でも、大竹が、これまでにない全くオリジナルなものを作ろうとしていたのは明らかだ。


 最後が「音」。「大竹が作品に積み重ねていく『層』の素材は、物質に限らず、音も含まれます」。








 面白かった。図録も半端ではない。新聞紙を使った図録は、当たり前の素材にとどまることを許さない大竹らしい。

 新聞社にいたのでよくスクラップはしたが、大まかなスクラップは異次元だ。

 いろいろな異質なものを同時に体験すると、共通部分に気づき、繋がっていく。人生経験も、大竹の作品のように時空を超えて切り貼りし、色を塗り、再構成していくと、全く見えなかったものが見えてくるのかもしれない。
 大まかな作品と作品に向き合う姿勢は、人の生き方にもヒントを与えてくれる。こんなすごい人が日本にいたのだなと思う。
 実は昭和の時代。現代アートの展覧会はよく行き、大竹の作品も気になった。ところが他の人の作品と同様、一つ、多くても二つくらいしか作品が展示されず、大竹が何を表現したかったのかよくわからなかった。今回のように1人の作家の作品をテーマ別に展示してくれることで、初めて、大竹伸朗の凄さがわかった。
 良い展覧会だった。