好き!→LINEブログの残骸(2021.12~2023.3)

僕の好きなもの、好きなこと。好きってなんだ?

なんだか忙しかった誕生日

 2022年11月20日。66歳になった日曜日。まずはFacebookに挨拶の投稿。こちらに一部転載。

子供の頃は、誕生日には、必ず母が作ったクリームコロッケを食べていた。ハムとゆで卵をホワイトソースであえてコロッケにする。あまりお金がかからないご馳走。思い出すと、母の料理は材料にあまりお金をかけないものが多く、それゆえにオリジナリティがあり、好きだった。例えばキャベツチャーハン。ご飯とキャベツだけを炒める。肉なし。ソースをかけて食べる。ちくわの輪のところに肉を詰めて揚げたもの。こんな料理は他の人は絶対に作らない(笑)。で、おそらく母直伝の料理は私しか作れないので、今日の誕生日を祝う料理は自分で作ることになりそうだ。昔からりんごが食べたければ自分でむいて食べていた。65歳になってから、さらに、なんでも自分一人でやるようになった。孤独、というのではなく、普通に一人でなんでもやるのだ。

昨日までは高齢者の若葉マークだったが、それが取れて、今日から一人前の高齢者になる。
60歳の時は現役の尻尾を引きずっていたので、生き方に迷い、高齢期というものは終わりの始まりと感じていた。65歳になって、自分が所属していたものがパッときれいさっぱりなくなり、真空状態になった。すると、何でもかんでもよく吸収できるのだ。いろいろなことができる!コロナで行動制限もあって「自由」という言葉とは縁遠くなっていたが、久しぶりに「自由」を実感した。

よく、高齢期になったら「きょうようときょういくが必要なんです。教養と教育ではありません。今日行く(場所)と今日用(今日の用事)です」などと高齢期のアドバイザーみたいな人が話すが、そんなのはウケ狙いの嘘っぱちだ。仕事という絶対的な存在があったから、他のものを諦めていたが、仕事がなくなると、その他大勢は遠慮なく自己主張し始める。そうすると、それらのどれもが引き下がらないので、行くところ、すべき用事は、どんどん出てきて収拾がつかない、というのが実際だ。
例えば。快晴の時にだけ、山に行く。天気予報が明日、快晴だと、急遽山に行く支度をする。晴れだと自動的に山なのだ。こんなことは、今だからこそできる。もちろん一緒に行く人がいれば一緒に行くが、パッと一人で行くことを厭わない方が自由を謳歌できる。

ワークライフバランスではなく、ワクワクライフバランス。生活することとワクワクすることのバランスがこの1年でようやく取れてきた。今日から1日1日を大事にして、ビュンビュンコロリといきたいものだ。

続いて農園に。
 大根、ニンジン、ブロッコリー、ネギなどはまさに食べごろ。小松菜や春菊は、根を残して葉などだけを摘み取るといくらでも葉が育ってきて、食べられる。
 小松菜はもう5回くらい収穫した。
 ナス、ピーマン、シシトウは夏からトマトやキュウリと共に育ってきたが、トマトやキュウリが枯れても秋に実をつけ、もう枯れそうになってもけなげにがんばっている。
 作物を収穫した後、実家に行き、愛犬の散歩。その後、しばし、戯れる。サッカーのPK、愛犬がゴールキーパー

 朝のジュースを作る。小松菜の代わりに大根、シシトウ、パクチールッコラ、ニンジンの葉っぱなどを入れて飲む。フレッシュ!

 買い物に行き、夜作る料理の材料や、義理の母が生ける花を購入。

 16日に山で落としてしまった鍵のスペアを作ってもらいにムラタロックサービス(東京都練馬区石神井台6-18-22 )へ
 鍵がなくなった時のレスキューサービスをネットで依頼しようとすると、いかがわしい業者に引っ掛かって、高額な料金を請求されたりする。地元で長く営業している鍵屋さんは、信頼できる。知っておいて損はない。
 丁寧な仕事。
 形状が複雑で、都心の駅によくある鍵屋さんでは扱えない鍵なので、助かった。

 帰宅して、食事の支度。
 ホワイトソースを作りーー。
  93歳の義理の母のために、ハンペンとモッツァレラチーズのコロッケを試しに作りーー。

 そしていよいよ母直伝のクリームコロッケを作る。
 ふう。疲れた〜。
 義理の母は、お祝いをくれた。嬉しい。女房は先日、山に来ていく服上下を買ってくれた。
 女房は、「ダイエット中でケーキはいらない」と言ったのだが、仕事の帰り、小さなケーキを買ってきてくれた。だが、自転車で帰宅中、崩壊(爆笑)。まるで現代アートのよう。この姿、自分らしくて嫌いじゃない。

 1日にできることは限られているし、一生でできることも限られているのだろう。

 でも、バダバタしていても、すごいことはできなくても、生きている感じはする。そんな66歳の初日だった。