好き!→LINEブログの残骸(2021.12~2023.3)

僕の好きなもの、好きなこと。好きってなんだ?

書くこと

  ハンバーグ、鉄腕アトム鉄人28号ときて、その後が続かなくなってしまった。

 本当に好きなの?と聞かれると、はい、と言えるものは実は少ない。

 例えば「書くこと」。新聞記者をしているとき、「人と話すだけで書く作業がなければ、どんなに楽しいか」とよく思った。締め切りぎりぎりまで取材するので、いつも睡眠時間を削って原稿を書くパターンになっていた。なかなか書かないのだから「書くこと」は嫌いなのか?とも思っていた。

 でも「取材だけ」で終わって楽しいわけはない。面白い話を聞くと誰かに伝えたくなる。話すだけだと身近にいる人に限られてしまう。多くの人に伝えるのは、記者をしていたから「新聞記事を書く」のが一番だった。

 ブログも「ココログ」はそれなりに読まれているようだが、始めたばかりのブログは、読まれても1人とか2人とか。でも、書くのは楽しい。読まれなくても書きたいんだ、と気づいた。ならば「書くこと」はやはり、好きなのだ。

 なぜ読まれなくても書くことが好きなのか。書くことで本当の自分が見えるから、かもしれない。何かを思う自分がいるが、その時、書き留めておかないと、そんな自分の存在はあとかたもなく消えてしまう。書くことによって、時々の自分が記録される。

 書くのは日記でもいいのかもしれないが、他の人に読んでもらうように書くことは、自分を客観化できるので、日記よりも発信メディアの方が好きだ。

 日記だから本音が書けるとは限らない。本音は書けるとしても、自分に都合の良いように真実をねじ曲げて書いてしまうかもしれない。外部に向けて発信する際には、当然、嘘は書かないようにしている。あえて書かない内容はあるが、嘘は書かない。

 新聞社を卒業して、複数のブログを始めると、ブログごとに書き方も書く内容も変わることに気づき、書くことの深さを感じている。

 新聞記者の時もいろいろな紙面があり、その紙面のコンセプトに合うように書くことが面白かった。

 ニュースを書く面だと、余計なことは要らない。とにかく事実を正確に伝える。

 特集の記事だと、とにかく多くの人に会って、何が真実かを探る。

 ブログだと、ほとんどはわざわざ取材することはなく、ジャンルで言えば「エッセー」に近いものが多いのかもしれない。

 今書いているブログも取材をもとにした記事とは異なる。取材して真実(に限りなくちかいこと)を発見する楽しみはないが、よく考えずに済ましていたことを、ちゃんと考える作業はできる。それによって、新たに見えてくることがあると知った。

 「書くこと」のバリエーションは多く、いくらでも深めることができる。

 「書くこと」は面白い。やはり、大好きだ。