好き!→LINEブログの残骸(2021.12~2023.3)

僕の好きなもの、好きなこと。好きってなんだ?

「好き」に囲まれて生きる

ついに、会社にも行かず、一日のスケジュールを好きなことに使う自由を手に入れた。

好きな時間に、好きな場所で好きなことをすることができる。

 

確かに、今は、好きなことをしている。でも、仕事に感じていた「好き」とは、ちょっと違う。

 

何十時間もかけて、いろいろ調べて、いろいろな人に会いたいとメールを書いて、いろいろな人から面白い話を聞いて、でも、会えない人や、取材しきれなかったこともあるなかで、なんとか記事ができ、多くの人が記事を読んでくれ、反響もある。その過程は、睡眠時間を削ったり、好きな本を読むのを我慢したり、デスクにけっこう文章にて手を入れらたりもして、「好き」とはいえない時間も過ごした。でも、記事を書いて良かったと思い、なかなか良い記事だと、自分の記事に愛着を感じる。しかも収入まで得られる。

 

そんな「やりがい」は好きに囲まれる今のような生活では実現しない。

 

雨降って地固まるというが、大げんかをしたり、顔も見たくないと思ったりした人たちが、一番親しい人たちだったりする。

嫌いになることもあるが、乗り越えるとさらに好きになる。

 

「好き」には「嫌いじゃない」くらいのものから「大好き」まであり、大好きなものに囲まれたかったら、多少嫌いなことも乗り越えなければダメなのだろうか。

 

退職後の「好きなことをする」は、随分限られた好きなことに過ぎず、本当に好きなことは、現役時代にしかできないのかもしれない。例えば大金をはたいて、ロケットに乗って宇宙空間に行く、みたいなこと。ものすごい努力をして、ライバルを蹴散らし、すごい勝ち組にならないと実現しない。そんな「好き」もあるのだろうか。

 

65歳のおじさん(おじいさん?)が「好きなことをして暮らす」というのは、所詮、小市民的な「好き」に囲まれた暮らしに過ぎないのだろうか。

 

60歳、あるいは65歳で会社を辞めて、さあ、どうする?という時に、新しい仕事に乗り出して、「生涯現役を目指すぞ」と目を輝かす人たちが結構いる。スケジュール帳はいっぱい。会社にいた時よりも忙しい、という。死ぬまで忙しくすることこそ「好きなことをする」人生と言いたげだ。

 

いやいや、それは、大事なものを見失ったり、犠牲にする人生である可能性も大きくはないか?

 

本を読み漁って、真理に近づいたと思える時間を過ごす。あるいは世界を放浪して、世の中の常識など、ほんの限られた文化世界の中での決め事に過ぎないと知る。それこそが素晴らしい人生?

 

いやいや、何もしなくてもいいんだよ。何からも自由な世界。ぼ〜っと1年過ごしたらやめられなくなるかも。

 

何が「好き」なのか、何がいいのか、は、結局、人それぞれ?それこそ、「好きにしろよ」かな。

 

人生が嫌いになるよりは、ちょっとかもしれない。小市民でも。