4時間かけて5年分の確定申告
3月9日に確定申告。2018(平成30)年から2022(令和4年)まで、5年間の医療費を申告したほか、初めて、青色申告決算書で、事業収入と経費を申告した。
9時45分に税務署に行き、立ちっ放しで、水も飲まず4時間。職員の方に協力してもらい、なんとか5年分の確定申告を終えた。
2018年は給与所得に企業年金の源泉徴収票を用意。2019年になると厚生労働省の公的年金が加わった。2022年になると給与所得がなくなり、年金の源泉徴収票だけになる。この5年でずいぶん収入の中身が変わった。
2021年末に引き受けたメディアリテラシーについての講義で、初めて収入を得た。2022年の収入になったが、そのための準備に使った本代を計上。2021年は収入ゼロで経費が9万4869円になった。Amazonで買ったものに限って申告したが、こんなに本を買ったのかと驚く。収入がゼロなので、所得はマイナス9万4869円となった。
2022年の経費は5万7114円。わずかに収入があったが、10万円までは青色申告特別控除の対象になるので、所得は0円ということになった。
個人事業主として初めての申告だったが、2023年からは、本格的に事業を始める。屋号も一新し、事業に臨む。ちゃんと収入があればいいのだが。
どんな事業かは、お楽しみということで。^ ^
「写真整理術とデジタル遺品対策 ~いつかやろうを先延ばしにしない」をテーマに終活セミナー
葬儀社・ライフネット東京主宰の終活セミナーが8日、東京・東五反田のライフネット東京事務所で開かれた。今回のテーマは「写真整理術とデジタル遺品対策〜いつからやろうを先延ばしにしない」。講師を務めた一般社団法人写真整理協会代表理事の浅川純子さんは「写真整理は見られる形にしてこそ意味がある。大切な写真を保存するだけでなく、見返して楽しむ習慣が広がってほしい」と思いを語った。
写真整理協会は、写真整理の啓発を行う団体。写真整理アドバイザーの資格を作り、写真整理に困る家庭をアドバイザーが助ける仕組みも広げている。
終活の中でも最も人々の関心が高いのが写真の整理だ。紙焼きの写真はアルバムにきちんと整理する他、箱にバラのまま入れておくケースも多く、一家庭で平均して5000〜1万枚ほどが保存されているという。
終活の中でも最も人々の関心が高いのが写真の整理だ。紙焼きの写真はアルバムにきちんと整理する他、箱にバラのまま入れておくケースも多く、一家庭で平均して5000〜1万枚ほどが保存されているという。
紙の写真は、要るもの要らないものを分け、ジャンル別、年代別に整理した上で、スキャナーなどでデジタル化する。データは2ヶ所以上に保存。クラウドは、企業が将来サービスをやめてしまうリスクもあるので、保存場所としては、第三候補になる。
必要な写真を保存したら、紙の写真をテーマに沿って見やすい形にまとめるのも面白い。
「私の人生アルバム」などの形で、その人の一生の写真をまとめることを写真整理アドバイザーの方が勧めていた。
デジカメが普及した2000年以降はデジカメで撮った写真が急増。最近は日常的にスマホでデジカメに劣らない写真が撮れるようになったことから、デジタル写真の枚数は増える一方だという。協会では一家庭で保存されるデジタル写真は2000〜1万枚くらいあると推定しているが、最近は10万枚に達する家庭もあるという。
デジタルの写真は、個人のスマホ、パソコンに保存されて、家族全員では見られない場合が多い。そこで力を発揮するのが、デジタルフォト・アルバム「おもいでばこ」だ。スマホ、デジカメ等の写真・動画を取り込んで、瞬時に自動整理。リビングのテレビや手元のスマホ等で身近な人と手軽に楽しめる。
オリジナルのデジタル写真のほか、テレビ用、スマホ用のデジタル写真のサムネイルがコピーされて作られるので、写真のバックアップも万全だ。
「私の人生アルバム」のようなアルバムの作成や、「おもいでばこ」への写真の取り込みは、写真整理アドバイザーに頼めば、有料で引き受けてくれる。
浅川さんは、デジタル写真を含め、デジタルデータをどう家族に残すか。つまりデジタル遺品の残し方についてもアドバイスしてくれた。
パスワードは修正テープなどを貼っておき、必要な時にはがす。スマホのパスワードさえわかれば、どんなネット銀行と取引があったかなどがすぐわかり、銀行に問い合わせもできるという。
スペアキーと一覧表は、預金通帳などと一緒に保管しておく。
家族が簡単には捨てられない貴重な写真もあり、写真の整理は終活でも重要なテーマ。
写真の整理は、遺産の整理とは別の意味で、とても大切な整理であることがわかった。
小仏城山〜高尾山
2月21日、陣馬山から高尾山まで歩こうと、勇んで家を出たものの、バスには乗り遅れ、上り坂は体がきつくてなかなか上れず、途中で断念。小仏城山から下山したので、今日は小仏バス停から小仏峠経由で小仏城山に。そこから高尾山まで歩いた。
小仏バス停を9時45分スタート。
小仏峠。10時26分。
小仏城山10時57分。
小仏城山を11時19分に出てーー。
高尾山に、12時8分に到着。
前回、とても苦しかったので今日は標準のコースタイムを1.2倍して、ゆっくり歩いた。そのペースだと高尾山13時40分着の予定だったが、さすがにそれほどスローペースではなかった。
ピリ辛茎ワカメ、半熟煮卵、大葉味噌の3種類のおにぎりを買った。
薬王院経由で下山。
みたらし団子、美味しかった。高尾山は平日でもいろいろな店が営業しているので楽しい。
高尾山の下はあまり面白くないので、リフトに乗ってみた。
結構、乗っている時間が長い。リュックやストック、スマホを落としそう。風で帽子が吹き飛ばされそうにもなり、ヒヤヒヤした。
すごいのは途中でカメラマンがリフトに乗っているところの写真を撮影してくれるのだが、リフトを降りると、もうプリントアウトした写真ができている。バーコードを読み取ると、デジタルデータでも入手できる。この素早さは目を見張る。
歩いて下りてくることと比べると、あっという間。13時50分。
ちょっとズルをしてしまったが、今日は無理をしないと決めていた。
高尾山口駅で、温泉に立ち寄った。
リュックが楽々入るロッカーもありーー。
飲み物も飲める。
くつろいだ〜。
水戸その2〜会社の後輩・Iくんと蕎麦屋でランチ、美術や梅も楽しむ
水戸まで行ったのは、会社の11年後輩のIくんとランチをするため。2000年3月から2004年2月までいた、NIKKEI NETの編成をする部署で、Iくんと一緒に仕事をした。
NIKKEI NETは、インターネットが普及し始めた頃、Yahoo! JAPANと人気を二分した新聞社系のネットの一つだった。日経電子版のスタートとともに歴史的役割を終えたが、大手新聞社にはない自由奔放なサイトだった。インターネットというこれまでにないインフラを使うサービスだったため、社内の各部署から人を募って作るしかなかった。それゆえに奇跡的に面白い人材が集まり、意欲的なコンテンツが作られていた。
その頃、私はデスクだったが、Iくんはキャップで、IT、テンタメ、食などのコンテンツで味を出していた。
Iくんは5年前から出身地の水戸に自宅を移し、水戸から大手町まで通っていた。副業が当たり前の時代。地域を盛り上げるという、ライフワークを少しでも早く手がけたいという気持ちで、生まれ故郷に本拠を置いた。
その後コロナ禍もあり、一体、どうしているのだろうと気になっていた。
その後コロナ禍もあり、一体、どうしているのだろうと気になっていた。
からが在宅で仕事をする日に、水戸でランチができないか、SNSでメッセージを送り、ランチをすることになった。
地元で大変評判の良い蕎麦屋さんで二色せいろを食べながら旧交を温めた。
コロナ禍で、ブレーキはかけられたものの水戸でのネットワーク作りは広かったという。「地域開発でいま、一番求められているのは防災」ということで、昨年、気象予報士の資格もとったらしい。 新型コロナの蔓延とともに移動も制限され、世の中の閉塞感は強まっているが、彼は昨年末、ロンドン、ニューヨークを訪ね大好きな芝居を梯子したようだ。視野を少しでも広げることで、彼は常識をアップデートするとともに、自分自身のバランス感覚を保っている。
例えば、彼がブロードウェイで見つけた劇場のトイレの案内。
口では、人々の多様性や自由に配慮すると言いながら、日本社会には偏見が残り、型にはまった行動が求められることが多い。しかし海外では、どんどん新しい考え方が実践に移されているのだ。
簡単にいうとなんちゃって冒険家なのだと思うが(笑)、冒険する意欲は十分。見習いたい。
彼は「フェリーの旅もいい」という。ネットが繋がらないことが多く、スマホを手放して、読書するしかなくなるからだという。ネット漬けの毎日も改めたい。
いろいろ動いてみる。いろいろな場所に行き、いろいろな人に会う。こうした基本動作を大切にして、がんばらねばなと、彼から改めて学んだ。
水戸で、気持ちの良い時間を過ごせた。
水戸その1〜水戸芸術館現代美術センター「ケアリング/マザーフッド:「母」から「他者」のケアを考える現代美術 ―いつ・どこで・だれに・だれが・なぜ・どのように?―」
展覧会を開催するにあたっての主催者挨拶や解説が一切ない。予算や時間がなくてそうなったのか、と思ったが、どうも戦略的にそうしているようなのだ。8室で展示があったのだが、いま、自分がどこにいるのも、何度もわからなくなって、監視員の方に質問した。
いただいた資料とパンフレットを見れば、どんな美術展なのかはわかるのだが、何も見ないで歩き回ると本当に不思議な空間だった。
ケアをテーマにした美術展というので、介護のあり方を問うものかと思って来館した。どうも様子が違うと、パンフレットを読み、展示を見ていると、どうも、出産、育児、家事といった女性たちが当たり前にしてきた仕事をテーマにしたアートのようだ。
「ケアにかかわる活動は、誰もが必要とするからこそ、あたかも『誰か』の本質的な仕事のように自然化され、不可視化され、あるいは自己責任化されています」。
おそらく、「母」と呼ばれる人が、ひとりでこなして、誰も積極的にはアートのテーマにはしなかったテーマを初めて本気で扱った展覧会なのかもしれない。
ちょっと本気で観なければ、と思った。
ほとんどの時間を費やしたのは第3室。
この作家だけ、一枚別の資料があって、部屋の見取り図と作品解説がある。
1.はじまりはなんだったのか?
3.(137億年前)「三者面談で忘れてるnotebook」
24時間を0:00に合わせて
1.「無意識ノート」
いつも私たちの側にいる
4.(137億年)「ビックバン」
小さな一つの点から爆発した
5.(45億5000万年前)「地球とテイア」
ふたつの若い惑星が同じ軌道上を、異なる速度で偶然回り始めた
II.欲望、発展、絶滅
24.(400年前)「オスマン帝国」
オスマン帝国ムラト3世は山地から5万本のヒヤシンスを集めて栽培させた
Ⅲ.失くしたものをおぎなうために
37.(1年前)「1年前から永遠に続く片付け」
抽象的思考を鍛えるための、整理整頓の中の整理整頓(%)
41.(1ヶ月前)「三日月の夜」
爆弾の雨が降っている
西欧ではこのシンボルはあまり意味を持たない。最も身近なのは朝食にクロワッサンを食べている時である。
46番は?
46.(未来)「三権分立」
3つのテーマを線で結ぶと、完璧なバランスのとれた美しい正三角形が浮かび上がる。
どの点にも偏りのない三角形をイメージしてほしい。
その3つの点は立法、行政、司法。三角形は三権分立をあらわしている。
さーっと見たら何も残りそうにない展示だったが、いま生きていることの深い意味、存在の不思議さなどを感じさせてくれた。
この部屋で、エネルギーの大半を使ってしまい、後の展示はさーっと観たが、見るための用意ができたのか、スーッと心に染み込んできた。
引いて撮ると、なんの展示もない部屋に見えるがーー。
「わたしは思い出す」という仙台市の沿岸部に暮らすかおりさん(仮名)の育児日記かもとになった展示だ。
本にもなっている。本の中身が、展示されている。面白い空間だった。
第6室。碓井ゆい《要求と抵抗》
石内都《幼き衣へ》
石内の作品は最初の部屋にもあった。
第7室。マリア・ファーラの作品。
アート作品のような仮設の授乳室も設けられていた。
人々が暮らす中で誰もが体験しながら、開かれていなかったケア。それを俯瞰し、深掘りし、つなげたアート展。現代美術ギャラリーならではの展覧会だった。