好き!→LINEブログの残骸(2021.12~2023.3)

僕の好きなもの、好きなこと。好きってなんだ?

ウチとソトの交錯

 通信講座で、俳句の基本を学んだものの、まだ、俳句とはこういう文学なんだ!というのはわからないまま。ただ、こんな文学なのでないか、といろいろ自分勝手な解釈が思い浮かぶ。そこで、メモ代わりに記しておく。
 当たり前のことなのだが、人はいつも何かを考えている。そして外の世界を直接眺めたり、テレビを見たりして経験や情報、知識を得る。内側(頭の中)と外側(自分を取り巻く世界)。どちらも記憶の中にも残っている。
 そして、それを俳句にする時、中心になるのは、外側の世界だ。外側の世界は日々、変化しているが、最低限、季節はいつなのかを季語で明確にして、詠む人と読む人のイメージをできるだけ近づける。
 内側の世界は、や、かな、けりなどの切れ字で、少しだけ表に出すだけ。
 内面まで描いていたら多分、17字に収まらないからだ。
 俳句はあくまでも外の世界を描写するものなので「だからなんなんだ?」と思うような句も多い。しかし、その句を詠んだ動機や感動、その時の気分が、上手に相手に伝るように俳句を作れれば、名句と言われる気がする。
 レッツ・メイク・名句!
 ダジャレが浮かんだ。
 個人のウチとソトの比重はもしかしたらウチの方が圧倒的に多いのかもしれないが、他の人にはソトしか見えない。ソトしか描かないがウチを行間に表現する。そんな文学が俳句なのかな、と思う。
 関連で言うと、Twitter。同じく短い文章だが、書き方に決まりもノウハウも、まだない。ただ、あまり心のウチをさらけ出すと、良いことはない。
 新聞記事は、外ばかりに見えるが、実は書く人の動機が全体の構成に強く影響している。客観を装って、主観を伝えている、とも言える。これが人に響く伝え方なのかもしれない。
 何を意図的に見るか、どんな題材を選ぶか、と言う時点でウチにある気持ちは少し出ている。喜怒哀楽を表現せずに客観的なソトの描写の中で伝える。そんな配分で、俳句を作ってみたい。