好き!→LINEブログの残骸(2021.12~2023.3)

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「荒木町大博覧会」を楽しむ

 高校時代の友人E君から、四谷三丁目近くで「荒木町大博覧会やってるので、時間があったら立ち寄ってね」と誘われ、11日、14時からの講演会に合わせ、廃校になった四谷第四小学校(四谷ひろば)の会場を訪ねた。
 荒木町の小料理屋が好きで、かつて何回かこの街を訪ねたが、「大博覧会」に行って、この街の華やかな歴史を知った。この街を改めて、ゆっくり歩いてみたいと思った。
 この大展覧会は、新・荒木町を発見する会の主催。東京スリバチ学会も共催している。建築家で都市のデザインを仕事にしているE君は、その両方のメンバーだ。
 元々は松平摂津の守の上屋敷があったところ。敷地内には滝もある大きな池があった。明治になると、庭園などは開放され、茶屋ができ、庶民の憩いの場となった。その後、置屋・待合・料亭のある三業地(花街)として賑わう。昭和の終わりに花柳界は消滅。その後、飲食店街として発展している。
 荒木町を舞台にする4冊の小説も生まれた。
 14時からの講演会は、E君が司会を務めた。
 野嵜正興さんが「荒木町の歴史的変遷」をテーマに講演。
 地図を始め様々な資料を示しながら、荒木町の歴史を解説してくれた。
 家康が鷹狩りに訪れた時に水を飲んだ策(むち)の井があること。江戸防御の前線基地として街づくりが進み、防御のために墓のある神社仏閣を集めたこと、庭園の大きな池や滝が明治期になると庶民が楽しめる場所として払い下げられ、景勝地として賑わったこと、そして花街として大変栄えたことなどの説明があった。
 とんかつ鈴新を経営する鈴木洋一さんは、「蔦の家」「奈る駒」などの料亭が栄え、この2店の廃業とともに花街が消滅したこと。永六輔小沢昭一らが「東京やなぎ句会」をすき焼き万世で催していたことなど、この街の懐かしい思い出を語った。
 庭園にあったという車力門の復元模型と、E君。 街の歴史や地形を知ることの楽しさを教えてくれた。ありがとう。