好き!→LINEブログの残骸(2021.12~2023.3)

僕の好きなもの、好きなこと。好きってなんだ?

中学、高校、高校のクラブ活動で一緒だったM君と蕎麦屋で一献

 コロナ禍で、人に会うことが少なくなっていたが、会社を退職して2年目に入った12月からは、いろいろな人に会うようにしている。昨日は中学生、高校、高校のクラブ活動が一緒だった親友M君と久しぶりに会った。練馬区練馬1-7-6、郵便番号も176の蕎麦屋さん、176で開店直後の17時半から、料理とお酒を楽しんだ。
 髪の毛は真っ白になったが、あとは変わらない(気がする)M君。
 私。
 176は、近くの蕎麦屋だが都心の有名な蕎麦屋に負けない、料理と蕎麦、お酒が楽しめる。これからは頻繁に飲もうと話した。

 M君はゼネコン準大手の企業の設計部門にいて、2000年、43歳の時に独立した。同じ軟式テニス部の友人の自宅の建て替えを担当。その家でみんなで飲んだりしたが、なぜ独立したのかとか、その後の仕事の様子とかは、じっくり話したことはなかった。彼は自分の事務所にいるので定年などはない。「図面を引くスピードは落ちてきた」というが、一戸建ての住宅から、店舗、オフィス、保養所に至るまでさまざまな建築の設計を手掛けている。
 コロナ禍で受注が一気に減ったこともあるといい、一人で働くことは決して楽ではないようだが、話を聞くと、とても楽しそうだ。建築の世界に入る時、「空飛ぶ円盤を作る」なんて言っていたけれど、今聞くと、中学時代にいまのドローンのようなものを作ったことがあるらしい。出力が足りず飛ばなかっだという。夢ではなかったんだな。
 彼が独立した理由は、酔ってしまって全く覚えてないが、(・_・;多分彼は常に第一線で設計をしていたいのだと思う。「仕事をしているのが無上の幸せ」という彼は、仕事が趣味でもあるようだ。
 独立するなら、やはり現役バリバリの時が一番いいのだろう。M君の場合、大学の同級生が工務店を経営しており、ずいぶん仕事を回してくれたようだ。会社のOBもサポートしてくれたという。「運が良かった」とM君。
 65歳になると、完全にリタイアしてしまう人もいて、なかなか仕事で繋がるのは難しい。後輩と繋がればいいのかな??
 二次会は彼の自宅地下にある事務所で。3月に「猫可愛がりしていた」愛犬のロンが癌のような病気で死んでしまったという。いま、施設に入っている彼のお母様もロンが好きで、彼は今でも、毎週、ロンが彼女に語りかけるメッセージ付きのイラストを送り続けている。
 心温まるイラスト。