ゲルハルト・リヒター展
またまた、閉幕前日の投稿になってしまった。
東京国立近代美術館で6月7日から開催されていた「ゲルハルト・リヒター展」が、明日、10月2日閉幕する。美術館でリヒター作品を鑑賞する人々までもが"作品"になってしまうような展示は、まさに現代美術(未来美術?)の醍醐味を感じさせてくれた。
イメージと現実。絵画と写真。具象と抽象。私たちが普段、接しているさまざまな(絵画以外の)情報も、どこまで作られたイメージなのか真実なのかわからない。そんな認知の世界を生きていることを我々に気づかせてくれる展覧会だった。
リヒターの個展が開かれるのは日本では16年ぶり、東京では初めてという。
公式ホームページによると、「画家が90歳を迎えた2022年、画家が手元に置いてきた初期作から最新のドローイングまでを含む、ゲルハルト・リヒター財団の所蔵作品を中心とする約110点によって、一貫しつつも多岐にわたる60年の画業を紐解きます」とのこと。一人の作品をしっかり見ると、表現したいことがだんだん見えてくる。ほとんどが撮影可。
鑑賞する人みんながとても楽しんでいた。
5枚のガラスを使った作品が中央に。鑑賞する人たちも作品の一部に。
写真のように見えるが、写真をもとに描いた絵。元の写真の意味、意図などが相対化される。
写真に絵の具が塗りたくられる。客観的と思っていた写真より現実味のある絵の具。
抽象画をコンピュータ処理して描くとこうなる。
196枚のカラーパネルをランダムに並べた作品と、対照的にグレー一色の作品。
リアルな絵も描く。リヒターの長男、モーリッツ。1995年生まれの彼が8ヵ月の時に撮影された写真をもとに、2000年に一度仕上げ、2001年,2019年に加筆している。ただ、息子を描いているだけの作品ではなく、そこには奥深い意味が隠されているのかもしれない(わからない)。
大きな鏡。私たちが作品になる。
引退を表明してから2021年に描いたドローイング。
刺激的だが、美しい展示だった。