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「マリー・ローランサンとモード展」(Bunkamuraザ・ミュージアム)

 複合文化施設Bunkamura」が、東急百貨店本店の再開発に伴い、4月上旬から休館する(休館期2027年度まで)。Bunkamuraザ・ミュージアムとしては最後になる展覧会「マリー・ローランサンとモード展」を見た。




 マリー・ローランサンとガブリエル(ココ)・シャネル。ともに1883年生まれで、ふたつの世界大戦に挟まれた1920年代のパリの芸術界を牽引した。
 エティエンヌ・ド・ボーモン伯爵のように、ピカソやブラックの作品を買い、サティの音楽コンサートを開催するような、前衛的な芸術の庇護者もいた。ローランサンやシャネルも彼と付き合いがあったという。社交界と前衛芸術家たちの結びつきが、新しい芸術を育んだ。
 ローランサンは、1913年ごろは、ブラックやピカソの影響を受けたキュビスム的な手法を取り入れていたが、やがてその独特な色彩表現の肖像画が人気を呼ぶ。
 「黒いマンテラをかぶったグールゴー男爵夫人の肖像」(1923年)が、ローランサン出世作となる。
 この時、シャネルも肖像画を頼んだが、出来上がった作品を見て、「似ていない」と言って描き直しを要求。ローランサンも譲歩せず、結局、受け取り拒否となったという。ローランサンは「私がドレスを注文した時には代金をちゃんと払うわ」と言ったそうだ。
 二人はそんな微妙な関係だったが、1920年代は「越境」がキーワード。国境だけでなくジャンルを越える交流があり、二人も、様々なジャンルで活躍した。
 ローランサンはバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の『牝鹿』衣装と舞台美術を担当。シャネルもバレエ『青列車』の衣装を手がけた。
 今回の展覧会では、この二つのバレエの映像が会場で流れていた。
 「越境」の様子がとてもよくわかった。

 1920年代は、モダンガールが登場。女性の社会進出、都市に花開いた大衆文化、消費文化が背景にある。短髪のヘアスタイル、膝下のスカート丈、ストレートなシルエットのドレスをまとった女性が街を闊歩した。彼女たちは米国では「フラッパー」、フランスでは「ギャルソンヌ」と呼ばれた。
 そうした女性たちに向けたファッションで人気を集めたのがシャネル。シャネルは、1910年に帽子店をオープン。小ぶりでシンプルな帽子を販売した。
ファッションに対して人一倍強い関心を持つローランサンも、帽子をかぶる女性の肖像画を多数描いた。
 ところが、1929年の世界恐慌で、流れは一変する。ファッションでは、スカート丈が長くなった。
 ローランサンの作風も変化した。時代の暗い雰囲気に抗うように、これまでの「微妙な階調のグレーに溶け込む淡いピンクや青」が、明るく強い色彩に取って代わられた。赤や黄色の絵の具もよく使うようになったという。

 こうした時代の変化と芸術の変化を追った今回の展示は面白かった。

 最後の章は、撮影可のエリアだった。
 彼女たちの作品が、今、改めて見直されているという。




 ザ・ミュージアム。最後に意欲的な展示を楽しませてくれた。