好き!→LINEブログの残骸(2021.12~2023.3)

僕の好きなもの、好きなこと。好きってなんだ?

ジャーナリストの先輩、立石泰則さんに話を聞く

 
 『覇者の誤算 日米コンピュータ戦争の40年』(日本経済新聞社講談社文庫)で第15回講談社ノンフィクション賞を受賞、その後もコンスタントに経済分野のノンフィクションを書き続けているジャーナリストの立石泰則さんに本当に久しぶりにお目にかかった。
 池袋の梟書房で、開店の10時半から4時間も話し込んだ。楽しかった。
 立石さんとは、彼がまだ週刊文春の記者だった時に一度お目にかかった。その後、私が編集長を務めていた月刊誌「日経ゼロワン」の1998年2月号で富田倫生きんと対談をしてもらった。お目にかかるのはそれ以来ではないだろうか、もう25年も前だ!
 立石さんは、1950年5月生まれ。週刊文春の記者を経て、1988年に独立。
 『復讐する神話〜松下幸之助の昭和史』(文藝春秋)でデビューした。その後も、『漂流する経営〜堤清二セゾングループ』(同)など著名な経済人を取り上げた著書が多い。でも、「君は無名だから、著名な人を取りあげなさい」と出版社に言われただけで、特に経済界のノンフィクションを書いていこうと思っていたわけではなかったらしい。しかし、このジャンルのものを書いてほしいという要望が多く、結果的に経済物が多くなったという。
 私は「生活ジャーナリスト」と名乗っているのだが、「肩書きで仕事を制約しない方がいい。『ジャーナリスト』とだけ名乗り、好きなことを書けばいい」と彼にアドバイスされた。フリーなのだから何を取材してもいい、か。その通りだなと思った。
 彼はノンフィクションを書く時には、徹底的に資料にあたる。例えば堤清二の書いたものは小説や詩、同人誌への寄稿まで全て読んだという。関係者には徹底的にインタビューする。「日本人は印刷されているものをすぐに信じる傾向があるが、複数の資料をあたって、本当に正しいか吟味しなければいけない」「特に公文書は間違いだらけ。◯月◯日に就任と言った記録でさえ間違っていることが多い。別の資料や本人に聞くなどして、補完しなければいけない」
 権威を疑うというのは彼のおじいさんの影響も大きいという。おじいさんは「政府の言ったことの真逆が真実と思えば、だいたい正しい」「『先生』とよばれる人は信じないほうがいい」と教えてくれたという。
 彼はパナソニックソニーなど家電業界の経営者を取り上げているが、経営者たちの一挙手一投足ばかりを細かく描いているわけではない。彼らが生きる産業界や時代の変化についても詳しくならなければ、ノンフィクションは書けない。
 だから、彼は、大きな時代の流れについて、いつも考えている。なぜ家電メーカーがかつてのような力を失ってしまったのか。その一つの原因が国際的な水平分業。日本の産業構造にとってはマイナス面もあった。ものづくりをするところに、技術(力)が蓄積するからだ。
 AIで日本は成長できる?「SNSに書かれたことなどをAIが学んでいく。だから、SNSアメリカ企業に牛耳られている以上、日本はアメリカにはAIでは太刀打ちできない。対抗できるのは独自のSNSを育てている中国くらい」「日本はAIではできない分野で、独自の新事業を起こすしかない」。
 立石さんは「事実をきちんと調べて書いておけば、次の世代の若者がさらに事実を深めてくれる」と期待する。「努力して取材しても、わからないことは必ず残る。それは次の世代に深めてもらえばいい」。次代の人に残す。ジャーナリストは歴史を書いているのだなあと思った。
 いま、我々、ジャーナリストがやらなければならないのは、「事実をきちんと明らかにして書き残すこと」なのだ。
 本を書いたら数人しか読んでくれなかったらどうしようと思う」と弱気なことを言ったら、「相川さんは本を売りたいの?事実を残すことを目的にすべき。いきなり多くの人に読んでもらいたいなどとあまり考えない方がいい。まず一人の人に読んでもらえるものを書くことが大事」と言われた。
 「ジャーナリストは後世まで残せることを書くことに価値がある」(立石さん)。
 そうか。そうだよな。気が楽になった。どれだけ読まれるかなどと考えても、いいことはない。受けなどは狙わず、自分が書きたいことを誠実に書いてみよう。
 立石さん、SNSについて聞くと、否定的なコメント。「議論には向かない。告知のメディアではないか」。「SNSの普及で日本語も乱れてきた。刺々しい言葉ではなく、優雅な言葉を読みたい」。
 「優雅な文章を書くには、志賀直哉夏目漱石芥川龍之介と言った古典の文章をを読んで、気に入ったフレーズを書き残しておくと良い」という。
 事実の掘り起こしはキリがないと思うがどうすればいい
 「関心のあることを納得するまで調べるしかないのでは。そのためには、好奇心は不可欠」(立石さん)。  
 そして、「本質は何か」と考える癖をつける必要がある。
 これが非常に難しい。仕事柄もあって、新しさ(新しそうなこと)にばかり目を奪われがちだったが、本質をつかめないとジャーナリストとして生きていけない。
 近道はなく、「例えば古典の名著を読みながら考える」訓練が必要だという。
 「繰り返し読みたくなるような本もある」という。例えば、マルク・ブロックの『奇妙な敗北』。読書は平日は仕事に関係のある本を読むが、土日には、古典の名著などを読むという。
 立石さんは72歳になった今でも「毎年一冊本を書く」ことを目標にしている」という。でも、生に執着はないという。
 66歳にもなると、何を書けばいいか、どう書けばいいか、などと、相談できる人はあまりいないが、72歳の先生がいてよかった。
 余計なことは考えず、焦らず、じっくりいいものを書こう。腹が座った。

追記)立石さんからダメ押しのメッセージをいただいた。
繰り返しになりますが、相川さんがどのような余生を送りたいと考えているのかという問題と「職業作家になれる、なれない」という問題は関係ありません。どのような人生を送りたいという希望があるなら、その実現に向けてロードマップを描き、日々努力することが「生きる」ということだと思います。「なれる、なれない」は 、単なる結果にすぎません。そんなものに何の意味もありません。
とにかく「やってみる」ことです。

結果を恐れないといつも言いながら、ゴルフでも失敗を恐れて、ドツボに陥る私。66にもなって、本当に人間ができていない。