好き!→LINEブログの残骸(2021.12~2023.3)

僕の好きなもの、好きなこと。好きってなんだ?

面白くなってきた茶道の稽古

 今日も炉のお点前の稽古。
 お菓子はこれ。
 お菓子だけでなく掛け軸や茶花にも季節感が溢れる。
 寒桜が咲き乱れる庭。
 好きな器を選んで、お点前をする。

 先生は、全くお点前をしたことがない時から、まずは、お点前の手順を始めから終わりまで、教えてくれた。
 茶道ではお点前の手順を覚える前に、その部分部分について学ぶ「割り稽古」というものがあると言う。もちろん、先生は部分部分も教えてくれるのだけれど、薄茶のお点前は「茶事」のほんの一部に過ぎないとして、茶事自体を催してくれたりして、まずは茶道の全体像、茶道の心を教えてくれた。
 65歳にもなると、袱紗さばきばかりずっとやっていたら、お点前全体には行きつかず、茶道を学ぶのは諦めていたかもしれない。
 袱紗さばきは手品のようで訳が分からず、できるようになるとも思わなかった。ともかくも、通しでお点前ができるように稽古をつけてくれたが。

 けれど、全体の手順がある程度飲み込めると、細かいことが気になるものだ。今日は、袱紗さばきなど、部分部分の稽古をお願いした。
 例えば。石州流大口派では、袱紗を「ふくら雀」の形にして、茶杓や棗(なつめ)を清める。これまでふくら雀の形にしないでさばいていたが、今日は、ふくら雀にする方法を教わった。
 ふくら雀とは、冬になると外でまんまるに膨らむ雀のことを指す。
 「穂を切る」という動作がある。茶筅の穂先を茶碗にちょっと触れるようにする動作。穂先だけでいいのには全体をこするようにしていた。さっと穂先を触れるだけにすると格好がいい。
 炉の縁を袱紗で国の字に清める動作。何かのおまじないと思っていた。灰を払う所作らしい。なんのための動作かわかって、自然なお点前になった。
 釜の蓋の形状(凹んでいるか、膨らんでいるか)によって清め方も変わる。水差しの蓋も塗りの蓋か、陶器の蓋かで、蓋を置く場所も変わってくる。それは「決め」の問題で、理にかなっているか、かなわないかの問題ではないが、そういう違いもあることを改めて教えてもらった。
 細部、面白い。

 こうした、もしかしたら枝葉末節みたいなことがちゃんとできるとお点前が俄然、格好良くなる。
 お点前全体の手順をざっと覚えた後、こうした細かいところについて知る、ということだったら、どんどん学びたいと思うから不思議だ。枝葉末節、結構。神は細部に宿るーー。急に細部が気になって、教えてもらった今日の稽古だった。

 お点前はある程度手順を覚えれば、気持ちが込められるようになる。先生は、紅葉を形どったお菓子、山の景色が描かれた器、秋らしい床の間のしつらえーーなどに囲まれ、秋の山にいるような気持ちでお点前をしてほしいと話していた。禅の精神もそのうちわかってくるらしい。

 早くそんな境地で、お点前ができるようになりたい。